小説家 平野 啓一郎(ひらの けいいちろう)さん

小説家 平野 啓一郎(ひらの けいいちろう)さん 受験は予防注射のようなもの。
嫌だけれど、一斉に受けるものだから。一瞬の痛みの前に、準備さえしておけばあとは楽しい大学生活が待っていますよ。

京都大学在学中にデビュー作『日蝕』で芥川賞を受賞した、小説家の平野啓一郎さん。20万部を超えるヒット作となった『マチネの終わりに』は映画化が決定し、この秋、待望の新作『ある男』が刊行されました。
北九州で育ち、文学少年・ギター少年でもあった平野さんの、独特の勉強観と、大学受験・大学在学中のエピソードをお伺いしました。

先生が母に言ったひとことで大学への進学意識が芽生える

大学在学中に、『日蝕』により当時史上最年少で芥川賞を受賞した平野さん。高校時代はどんな感じで過ごしていましたか?

平野 啓一郎さん(以下 平野)

僕はそもそも、高校には行かないつもりだったんです。本も好きでしたし、友だちとバンドを組んでギターを弾いていたし、将来はミュージシャンになりたいとか思ってました。ところがバンド仲間で地元の公立高校に行くと宣言していた友だちが、四国の有名な私立の進学校に受験して、来年からそこへ行くつもりだって心変わりしたんですよ。それがきっかけで、やっぱり高校だけは行こうと考え直しました。

その結果、北九州の東筑高校に進学されましたね。

平野

ええ。でも、そんな状態で入学したので、勉強よりもギターと本が大事といった感じで、部活にも入らずに家にすぐ帰って、ギターを弾いたり本を読んだりする毎日でした。勉強は好きではなかったけれど、でも“落ちこぼれてもいいや”とは思っていなくて、テスト前だけは勉強するような感じでした。

何が大学進学への転機となったのでしょう。

平野

高校2年生になって、二者面談から帰ってきた母親が、“先生から、平野は変わっているから、東大より京大へ行った方がいいんじゃないかって言われたんだけど、あんたそんなに成績いいの?”って、怪訝そうな顔をして聞かれたんですよ。東筑高校は当時、多くの人が九州大学をめざすという学校でした。なので、自分も九大にでも行ければいいだろうな、と思ってました。今となっては、先生がなぜそう言ったのかはわからないんですが、テストの結果というよりも、教えているときの様子でそんな感じがしたのかもしれません。いずれにしても、このときから「京都大学」を意識するようになりましたね。

もうひとつの、「東京大学」ではなかったんですね。

平野

高校時代の僕は、東京という街に並々ならぬ反感を持っていたんです(笑)。田舎者でしたし、“東京の何がそんなに偉いんだ”という反発心もありました。
ちょうど80年代終わりから90年代初期にかけての、バブル景気の余韻がたっぷり残ってるころに中学高校時代を過ごしたので、テレビを通じて伝わってくる東京は、「ディスコで踊り狂って“カネ・カネ・カネ”の世界」という単純化されたイメージでしたから。

京都大学についてはどんなイメージだったんですか?

平野

これも変な誤解だったんですけど、京大にはいいイメージがありました。「そうだ 京都、行こう」のようなきれいなイメージのCMが流れていましたし、“京大は個性的”という風にもいわれていたので。それで、何となくモチベーションも上がったんです。

その頃、文学に対する思いはどうだったんでしょう。

平野

高校2年生のときに、小説を1本書いたんですよ。それを3人くらいに読んでもらったんですが、みんな微妙な反応で(笑)。それでも“自分は小説を1本書き切った”という満足感があって、一応は気が済んだんです。それとほぼ同時期に、ギターに対する熱も少し冷めてきて、ミュージシャンへの思いは薄れていました。学年全体が受験勉強に突入していったのも同じタイミングだったので、やはり大学くらい行ったほうがいいだろうなと気持ちを切り替えました。

「文学」への思いゆえに揺れた、大学の学部選び

志望学部はどうやって選びましたか?

平野

僕の家はマジメな家系で、母の親戚には医者とか歯医者とかが多いんですよ。姉も医者になりましたし。なので、母からは理系に行くことを進められましたが、数学は得意だったものの、理科系が得意でも好きでもなくて。結局、文系の学部を選ぶことにしたんです。
小説が好きだったので文学部という選択肢もあったんですが、一方で、小説を書いている自分の姿ってどうかなという気持ちもありました。小説家として、生きるとか死ぬとかいうテーマを一生暗く考え続ける人生というのもどうかな、と。もっと清々しく生きたいと思ったんですよ(笑)。こういう屈折した気持ちを抱えたまま文学部に進んで、例えば研究者になったとしたら、小説家に嫉妬心をもった嫌ーな批評家にでもなりそうで。それはあまりにも惨めだし、なるだけ文学と関係のない、健康的な学部に進んで、まっとうな人間になろうと(笑)。最終的にはつぶしが利くだろうという理由で法学部を選択しました。

大学進学のために予備校へ通っていたそうですね。

平野

地方の公立高校なので、東大や京大志望の人は塾に行くなりして、自分で勉強するようにという感じだったので、予備校に通うことにしたんです。姉の大学の友だちから“受験は情報が重要だから、受験についての情報をたくさん持っている全国規模の塾のほうがいいよ”とアドバイスをもらい、小倉にできたばかりの河合塾北九州校に通い始めました。自習室はよく使いましたし、テキストと模試はすごく役に立ったことを覚えています。

そういえば、国語の成績はどうだったんですか?

平野

文学好きだったので、文章を読むと自分の意見が出てくるんですよね。ところが、自分の考えを答えに書くと、だいたい点数が低いんです(笑)。模試の後に模範解答を読んでみても“これって違うんじゃないの?”って、さらに腹が立つという。でも、そんなことをいってもテストだから、文章の意図を自分なりに解釈してもしょうがない。問題を作った人がその文章をダシにして、何を言わせようとしているのかを考えないといけないなと思ったんですよ。それからは、急に成績が上がっていきました。

コツをつかんだということですね。他の英語や数学の勉強方法を教えてください。

平野

基本的なことですが、買った問題集を最初から最後までちゃんと解きました。そのうえで、数学は間違った問題に印をつけて、後で解き直すというパターン練習を繰り返しましたね。英語はいろいろな英文を読んだり、ひたすら英単語や熟語を覚えるようにしていました。現在、仕事で英語をしゃべることがありますが、単語が出てこないと会話にも詰まるんで、やっぱり単語を一生懸命覚えるのは将来を考えても重要だと思います。

そして志望校対策へ進む、と。

平野

京大の入試を受けるまでに、過去問とか赤本とか、ほとんど解き終わっていたんですよ。だから、これだけやって京大に落ちたら、次の年は東大を受けようと思っていました。浪人してもう1回同じことをやるのかと思うとうんざりしちゃって。

受験の科目選びなどはどうしましたか?

平野

京大はセンター試験と二次試験とで、社会は違う科目を1つずつ受ける必要があります。ここで問題が発生しました。僕は高校で地理と日本史を選択していたんですが、地理があまりにもつまらなく感じてしまって、高校3年生の途中で地理を放棄したんです。このままじゃ勉強を続けられないと。でも、受験のために何か1科目選ばないといけないので、試しに倫理の教科書を読んでみたら、アリストテレスがどうしたとか書いてあって、すでに本を読んで知っていることが多かったんですよ。自分の好きなジャンルだし、これならあまり勉強しなくても試験に間に合うと思って、結局、センター試験は倫理・政経で受けたんです。

小説家 平野 啓一郎(ひらの けいいちろう)さん