マンガ家 石塚 真一さん

『岳』や『BLUE GIANT』などの人気作を描く石塚真一さんは、マンガ家としては異色だらけのキャリアをお持ちです。アメリカの大学に留学し、クライミングに没頭。帰国後に就職した会社は1年で倒産。そこから、未経験でマンガ界に飛び込み、いきなり小学館新人コミック大賞一般部門に入選。以後、連載する作品は多くの賞を受賞しています。そんな石塚さんの高校時代から、マンガ家となった現在にいたるまでの紆余曲折をお伺いしました。

どっちつかずの高校生活から“脱出”を図ったアメリカ留学

代表作である山岳マンガ『岳』の主人公・島崎三歩は、石塚さんと雰囲気が似ていますね。

石塚 真一さん(以下 石塚)

『岳』は自分のなかにあった知識と世界観で描くことができました。主人公・三歩のがんばらない生き方は、自分の理想に近い部分でもあります。一方で、『BLUE GIANT』の主人公・宮本大も、基本おおらかな性格ではあるんですが、「世界一のジャズプレイヤーになる」という目標を設定して、そこにめがけて一直線に突き進んでいきます。これは、自分が高校時代にできなかったことを、彼にやってもらっているという面もあるかもしれません。

できなかったこと、というのは?

石塚

何かひとつのことに打ち込むことの良さってありますよね。自分が高校生のころはそれがなくて。大学でロッククライミングに出会い、今こうしてマンガという打ち込める仕事に出会えたのは幸せなことだと思います。

実際に、中学・高校時代はどんな生活を送っていましたか?

石塚

中学では吹奏楽部でしたが、高校では吹奏楽部には入らず、家に帰って、テレビを見ているような生活でした。自分がどこに向かっているのか、まったくわからなかったし、やりたいことも特になくて、どっちつかずの、ぼんやりとした日々を送っていましたね。
高校は、いわゆる“普通”の高校でした。努力して有名な大学に行くというより、みんな自分が入れるレベルの大学について話していて、それが、一般的には聞いたこともない大学という感じ。夢も希望もなく、こんなんでいいのかと思いつつ、かといって、ちゃんと勉強もしていない高校生でした(笑)。

でも、アメリカの大学の分校へ進学し、その後実際にアメリカへ留学されています。

石塚

日本の大学を受験して全滅したとき、南イリノイ大学の分校が日本にあるということを知ったんです。留学は、それまでの自分の世界から脱出したかったんだと思います。その時代、はやっているものについて知っているかどうかが、生徒間のヒエラルキーや評価軸になっていて、流行やブランドとか、そういうものに心底嫌気が差していたんです。

大学での学びについて教えてください。

石塚

分校は新潟でしたが、授業は英語だったので最初は苦労しました。2年間で基礎となる一般教養を学び、その後、アメリカに渡って専門科目を学ぶことになっていました。
天文学の授業で、オーストリア人のおじいさんの先生がいて、この人の英語がまるっきり聞き取れなくて、苦労しました。でも、こういった多国籍のいろんな英語で授業を受けていたおかげで、アメリカに渡ったとき、それほど言葉には苦労しませんでした。

アメリカで登山にハマり 帰国してマンガ家を志す

渡米後はルームメイトの影響でクライミングに目覚めたと聞いています。

石塚

ええ。彼に連れて行かれた初めてのクライミングが、氷壁だったんです。アイゼンのついた靴と、両手にピッケルをもって、ザイルを使って登っていく。自分が体験したことのある登山とはまったく違う世界で、このとき、雷に打たれたような感覚を味わいました。
ルームメイトと、「どうせやるなら北米大陸最高峰のマッキンリーをめざそう」と目標を立て、そこから逆算して、トレーニングや準備、最終的な登頂予定などについて話し合いました。ところが、準備期間などを計算してみると、僕が通っている大学の美術コースだと、登頂よりも先に卒業してしまいます。そこで、クライミングにも役立つ知識で、卒業まで4~5年かかる気象学を学ぶために、別の大学へ再入学しました。結局、卒業までにマッキンリーは登れませんでしたが、ルームメイトと一緒に、カリフォルニア州を中心に、いろんな山に登りました。

その後、日本に戻って就職します。アメリカに残る選択肢はありませんでしたか?

石塚

なかったです。せっかくアメリカで学ばせてもらったので、戻って日本の役に立ちたいという気持ちが強かったですね。ところが、27歳でアメリカから戻ってきて、就職活動をしてみたものの、さっぱりでした。たまたま、アメリカ時代にクライミングのお世話をした人の縁があってIT企業に就職が決まったんですが、1年で倒産してしまいました。

そこからマンガ家へ転身というのはすごい人生の舵切りですよね。

石塚

20代も終盤に差しかかっていて、ここで勝負しないと人生ダメだと思いました。話を作るのは好きだから、作家かマンガ家になろうと、英語の先生などをして食いつなぎながら、チャレンジし始めたんです。結局、それまで絵もほとんど描いたことがなかったのに、マンガ家の新人賞をめざして描き始めました。留学時代、『MASTERキートン』がきっかけで考古学を勉強しにアメリカへ来たという学生がいて、そんなふうに人生に影響を与えるようなマンガが描きたいというのもありましたね。

マンガ家 石塚 真一さん