女子サッカー選手 猶本 光さん

なでしこジャパンの次世代を担うボランチ・猶本光さんは、チームを中盤から支え得点感覚も備えた頭脳派プレーヤーとして注目されています。高校生時代からU-17代表で頭角を現し、日本開催の2012年U-20ワールドカップでも活躍。現在はなでしこリーグのトップチーム・浦和レッドダイアモンズ・レディース(以下レッズレディース)の中心選手であると同時に、筑波大学大学院では学業に励んでいます。なぜ、サッカー選手と大学生の両立をめざしたのか、その理由を聞いてみました。

サッカー以外の選択肢のために 大学に進もうと考えていた

サッカー選手として活躍するかたわら、筑波大学の学生として生活をされています。そもそも、大学に進もうと思われたのはなぜですか?

猶本 光さん(以下 猶本)

中学生の頃から母に言われていたのが「将来、女子はサッカーだけじゃ食べていけないから勉強もしなさい」ということでした。それで早くから大学に行こうと考えるようになりました。サッカー選手を終えた後の人生の方が長いですし、そのときの自分に何も残っていないという風にはなりたくないと思っていましたから。
ただ、「大学は国公立じゃないと行かせてあげられない」と言われていて、そのためには受験勉強をかなり頑張らなきゃいけないですよね。そうなるとサッカーから離れなきゃなりません。受験勉強に打ち込むはずの時期が、AFC U-19女子選手権に重なっていましたし。それで推薦を勝ち取るために成績を上げようと、普段のテストを頑張っていましたね。その結果、競技成績とあわせて、筑波大学に推薦で入ることができました。

高校時代、すでに女子クラブチームの福岡J・アンクラスで活躍されていましたが、勉強との両立は大変だったのでは?

猶本

母校の福岡女学院では、テストで学年順位が出るんですよ。暗記が得意なタイプだったのと同時に、出題範囲を100%やってテストに臨まないと気が済まないタイプでもあったんですね。それで最初のテストで、いい順位になって。“そこからは順位を落とせない”という気持ちが強く働いて、それが中学・高校と続いた感じです。高校からは、大学進学という目標もありましたし。ただ、部活ではなくクラブチームだったので、テスト休みというのがありませんでした。休みがないからできませんというのは言い訳にしたくなかったし、負けるのも嫌でしたからね。通学中や早朝の時間を使って勉強した覚えがあります。

そして、筑波大学とレッズレディースの両立となります。

猶本

サッカーは、すでにクラブチームでやっていましたから、大学サッカーではなく、日本最高峰のなでしこリーグのチームでプレーすることが前提でした。そんなとき、代表で活躍している熊谷紗希さんや安藤梢さんが、筑波大学に通いつつレッズレディースでプレーしていることを聞いて、そういうやり方があることを知りました。筑波大学ならスポーツについて高いレベルで学べると思ったのも、志望した理由のひとつです。
同時期にレッズレディースからもお話をいただいたこともあり、チームも移籍することになりました。筑波大学とレッズがある埼玉は距離がありますから、普通なら通うのは難しいと考えがちです。でもすでに熊谷さんや安藤さんがいましたから、できることはわかっていましたし、心配はありませんでした。

いい指導者と巡り合い サッカーにのめり込む

サッカーを始めたのはいつ頃ですか?

猶本

私が幼稚園のときに一歳上の兄についていって、コーチに一緒にやろうと言われて始めたという感じです。最初はうまくできなかったですけど、母に「続けていれば楽しくなるよ」と言われた記憶があります。それで気が付いたらのめり込んでいましたね。小学校4年ぐらいにはサッカー一色でした。

そして、福岡女学院に進まれましたね。

猶本

地元の中学校はサッカー部の人数がすごく多くて、女子でもサッカーがしやすい環境に行こうと中学受験しました。小6の夏に受験しようと決めて、そこから必死に勉強しました。中高一貫校でしたので、同年代が高校受験している時期もサッカーに打ち込めたことは、後々大きなプラスになりました。
福岡女学院のサッカー部は、福岡J・アンクラスの下部組織も兼ねていて、中2からはトップチームに引き上げていただきました。ユースでは中高で1つのチームで、中1でも高3の選手と一緒にできましたが、トップチームで練習できる環境だったのは、大きかったですね。

当時からボランチの選手でしたか?

猶本

最初はフォワードで、中3ぐらいからトップ下やサイドアタッカーでプレーするようになりました。まだボランチというポジションを意識していなくて、守備よりは攻撃が好きでしたね。U-15のトレセン(ナショナルトレーニングセンター)に呼ばれたときも、最初はトップ下で入ったのですが、途中から「守備の読みがいい」と言われてボランチを任されるようになりました。当時、私はすでにトップチームでプレーしていましたが、同年代の選手たちは、まだ高校のチームが多かった。そのために組織プレーとか守備の仕方が、他より身についていたのかなと思います。

いい指導者との出会いもあったと伺っています。

猶本

小学生の時のコーチは、足元の技術の基本を教えてくれました。福岡J・アンクラスの河島(美絵)監督は、自分のポテンシャルをうまく引き出していただいたと思っています。

U-16代表だった当時の、吉田弘監督からのアドバイスはどうでしたか?

猶本

「見て、考えて、行動しろ」と言われたことをよく覚えています。これはクラブチームでも意識するようになって、それまでは気が付いても行動できなかったことをやったり、考えて率先して動くようになりました。例えば、チームで持ち物が足りないことに気が付いたとき、自分から取りに行くとか。日常生活から気を配るようになりましたね。リーダーシップも自然と出てくるようになって、プレーにも反映されるようになりました。考えすぎてダメになることもあるので、普段考えていることを、プレーで自然に出せるようになれれば理想的ですね。

女子サッカー選手 猶本 光さん