女流棋士/女流三段 香川 愛生さん

女流棋士として活躍する香川愛生さんは、15歳でプロの世界に入りました。高校時代は自身の将棋に悩みながらも、受験勉強の経験によって、将棋への思いを新たにしたそうです。また、将棋の世界にとどまらず、将棋界きってのゲーム通としても知られています。2017年3月に立命館大学文学部を卒業した香川さんに、将棋との出会いから現在までの“学び”のエピソードをお伺いしました。

無敵の子ども時代からプロへ 将棋に伸び悩んで迎えた受験

香川さんは、子ども時代から頭角を現し、中学校3年生で、当時最年少で(プロの)女流棋士になりました。将棋と勉強をどうやって両立させていたのですか?

香川 愛生さん(以下 香川)

将棋に出会って以降、“将棋漬け”の毎日でした。勉強そっちのけで将棋にのめり込んでいましたね。
ただ、プロになってからは、うまくいかないことばかりでした。奨励会(編注:プロ棋士の養成機関)というところに入っていたときなのですが、自分の実力が思うように伸ばせず、これから先、将棋の道を進む自信を失っていました。それがちょうど高校3年生になるあたりだったんです。

いわゆる“プロの壁”というものですね。

香川

高校3年生の5月までは将棋を頑張って取り組んでいたのですが、理想と現実のギャップに苦しみました。家族が大学に通わせたいという考えだったこともあって、悩みに悩んだ結果、奨励会を退会して受験勉強を始める選択をしました。
9歳からずっと将棋を続けてきて、伸び悩んだとはいえ、高校3年生の春までは真剣に将棋と向き合ってきました。大好きだった将棋がつらくて仕方がなくて、退会した日から、駒が持てなくなってしまいました。でも、自分で決めたことだったので、将棋を指せなくなったその日から、その分の時間を、今度は今までまったくやってこなかった受験勉強にあてることにしました。

実際に、どのように受験勉強に取り組んだのでしょうか。

香川

それまでほとんど勉強らしい勉強をしてこなかった私には、何から手をつければいいのかまったくわかりませんでした(笑)。そこで、私立文系の大学に進むことを念頭において、受験に必要な英語、古文、現代文の力を伸ばすべく、予備校に通うことにしたんです。
自分の一番通いやすい場所にあって、体験授業を受けられたのが河合塾の調布校だったので、そこで、英語と古典、現代文の体験授業に参加しました。

予備校での授業はどうでしたか?

香川

体験授業の段階では入塾するとは決めてなかったのですが、そのときに受けた二本柳啓文先生の英語の授業が衝撃的で「この先生について行きたい!」と強く思って、入塾を決めました(笑)。高校の授業の雰囲気とは全然違いました。それまではずっと将棋ばっかりだったので、本当に真剣に大学受験をするという人たちに囲まれる経験がなかったんです。私が行ったのは「早慶大英語」という講座だったのですが、教室内の緊張感がまったく違いました。ここにいる生徒と戦わなければならないのかと思うと、初めて焦りが出てきました。そして、レベルの高い授業でしたが、ほかの生徒より一つでも多く学びたいと、必死に受講していたのを覚えています。

受験勉強を通して痛感したミスと向き合うことの大切さ

予備校の勉強以外では、どんなことに取り組んでいましたか?

香川

やっぱり英語の勉強ですかね。本当にまったくできなかったので、英語の単語帳を見るのも苦痛で仕方がなかったんです。でも「これを乗り切ったら絶対できる日がくるだろう」という気持ちで取り組みました。
私のやった単語帳は、単語に付随して英文が掲載されているタイプでした。受験勉強を始めて最初の2ヵ月くらいは「それしか読まない」という勢いでやりましたね。最初の3日で、読めないんだけど1冊まるまる読むんですよ。1ページに何十分とかかかってもいいから、とにかく気合いで読んでいく。これが1週目。
2週目からは、1日目に1番から20番までを暗記したら、2日目は1番から20番の忘れていた単語をチェックしたあとで、21番から40番をやる。3日目も1番から40番までのチェックをやった後に41番から60番までを覚える。ボロボロになりながらひたすら続けて行きました。すごいつらかったです。

これは苦しい戦いですね。この勉強法はご自身で考えたのですか?

香川

誰かに教わったわけでもなく、自分で考えました。ただ、将棋の経験で「すぐできるようにはならない」ということだけはわかっていたんです。できるようになるまでの期間を耐えられるかどうか。将棋をやっていると、忍耐強さはすごく身につくので、本当に心が折れそうになりながら、「わからない、できない、つらい」っていう勉強ではあったんですけど、「つらいからこの道で合ってるんだろうな」とは思っていました。たぶん、乗り越えられる瞬間がくるはずだと信じて、過酷な日々を続けていたんです。

将棋での経験が受験勉強にも生きてきたんですね。これは香川さんならではの体験かもしれません。

香川

特に、将棋で培ってきた経験のなかで、失敗に関する経験が生きたと思います。アマチュアのときは特にそうだったんですが、例えば、同じところで、何回も同じミスをしてしまうことがありました。「何回ここで銀を取られてるんだよ!」みたいな(笑)。同じ間違いをすることは恥ずかしいし、だからこそ、その局面を学習することに抵抗がありました。
できることなら忘れたいと思っていたくらいです。でも、忘れたら絶対に同じことをくり返してしまうので、振り返らざるを得ません。その局面を何度も振り返ることが、結果的にミスをなくすことにつながります。それが骨身に沁みて自覚できるようになったのも大きいと思いますね。

その考え方が、受験勉強にも共通していた。

香川

何度も同じような問題で間違っていたら、成績は上がらないですよね。なぜ間違えたのか、どう解けば正解なのか、次に出たとき、同じ間違いを繰り返さないためにはどうしたらよいかなど、対策をとることはどちらにも必要でした。

将棋と受験勉強とが、互いにいい影響を与えていたんですね。

香川

今思うと、一つのことに対して、広い視野で考えて、いろんな角度からアプローチしたり、見つめ直すというようなことは、私は受験勉強から学んだような気がします。
同じものをいろんな角度で見ることの大切さ、例えば、現代文の問題で、自分が何かをパッと見たときに「こう思った」ということが、実は全然違う見方もできたりするし、「出題している人はまったく違う意図で出していました」みたいなことが結構たくさんあるんだな、と。そういったことを予備校の授業で教えられて、スッと受け入れられたんです。

それが将棋だとできなかった。

香川

仮にもプロなので、誇りもありました。自分の知らないことがあるとか、自分にできないことがあるとか、自分より上の人間がいるということを、気持ちのうえでなかなか受け入れられなかったんです。うまくバランスがとれなくて、そこで認めてしまったらダメだとすら思っていた。でも受験は、最初からできない立場として参加したので、いろいろダメなところを素直に受け入れられたし、できないからこそ伸びる余地があるということも理解できたんです。

苦手なことのほうが、返って学ぶ際の敷居が低くなるのかもしれませんね。

香川

どちらかというと、アマチュアのときは、自分の失敗を振り返るというより、過去の成功体験をイメージするようにしていたんです。プロになってからは、それではダメでした。プロはもっと客観的に全体を見ていて、相手のやりたいと思っていることを見透かしたうえで最善を尽くしてくる。そうすると、自分の気持ちでやりたいだけのことなんて、全然通用しません。そこで、勝つために失敗を振り返って、同じ失敗をしないという風に変わっていきました。将棋は最後に失敗したほうが負けるんですよ。負けないためにはミスをしない。そして、同じミスを二度と繰り返さないように心に刻む。それを続けていって、やっと勝つことができる。そういう世界に入ってしまったので(笑)。

女流棋士/女流三段 香川 愛生さん