お笑い芸人 パンサー 向井 慧さん

人気急上昇中のお笑いトリオ・パンサー。メンバー最年少でありながら、トリオのまとめ役的な存在の向井慧さんに、お笑い芸人をめざしたきっかけから大学受験の思い出、そしてパンサー結成に至るまでの経緯などをお聞きしました。

憧れのお笑いの道に進むために挑んだ大学受験

向井さんはいつ頃からお笑い芸人をめざしていたのですか?

向井慧さん(以下 向井)

小学校高学年のときにテレビで観ていた『めちゃ×2イケてるッ!』というバラエティ番組がきっかけですね。ナインティナインのお二人を「おもしろい」だけじゃなくて「格好いい」と感じて、自分もいつかこうなりたいと憧れるようになったんです。

もともと、おもしろいことをするのが好きな性格だったのですか?

向井

生徒会長を務めたこともあったし、目立つのは好きだったので、明るいタイプではあったと思いますね。名古屋市では勉強やスポーツや生徒会活動などで頑張った子どもを表彰する制度があって、その「優良児童」に選ばれるような子どもでした。 それがちょっと変わってきたのが、高校生くらいのとき。ダウンタウンの松本人志さんが書かれた著書などを読んで、お笑いへの憧れがより強くなっていったんです。友達とみんなで遊ぶ時間よりも、お笑いのことを考えている時間のほうが増えていって、自然と一人でいることを好むようになっていました。

そこまで明確にお笑い芸人という夢を持ちつつも、高校卒業後に明治大学に入学されます。受験までの経緯はどんなものだったのですか?

向井

僕としては高校を卒業したらすぐに東京に出て、NSC(吉本興業が運営する養成所)に入るつもりでいたんですけど、高3の秋にそのことを親に伝えたら猛反対されてしまって。父親は公立大学の教授なんですが、「大学だけは絶対に出なさい。大学に行ったら、4年間は好きなことをしていいから」と条件を出されたんです。それまで受験勉強なんて全然してなかったんですけど、急遽、猛勉強を始めることになったんです。

それが高3の秋だと、受験本番まで残りわずかですね。どんな勉強をしたんですか?


向井

自分がどこまで力を伸ばせるかもわからなかったので、とにかく使える時間はすべて勉強に費やすという感じでしたね。休みの日だと1日12~13時間くらい、集中して勉強していました。勉強法としては、ひたすらノートに赤ペンで書いて、口に出して覚えるというもの。誰かに教わった暗記法というわけではないですが、手や口を動かすほうが覚えやすいかなとか、黒のペンよりも赤のペンのほうが頭に残りやすいだろうなとか、自分なりに試行錯誤しながら、取り組んでいましたね。あまりに大量の赤ペンを使うので、同級生の間では「向井・赤ペン先生説」もささやかれていたようです(笑)。

毎日、長時間の勉強のなかで、息抜きはどのようにしていたのですか?

向井

それだけ勉強していると、やっぱり漫画とかも読みたくなるんですけど、一冊読み始めちゃうとキリがなくなってしまうので、どうしても漫画が読みたいときは、家に送られてくるDMのPR漫画みたいなものを読んで我慢していました。「この教材を始めたら、勉強も部活も恋もすべてうまくいった!」みたいな、毎回同じようなストーリーのものなんですけど(笑)。それで「とりあえず漫画を読んだ」ということにして、ささやかな息抜きをしていました。あとは、当時付き合っていた彼女が河合塾に通っていたので、一緒に受験勉強することでいい刺激になっていたと同時に、それが励みや、やる気につながりましたね。

最終的な志望校はどのように決めたのですか?

向井

志望校をいくつかに絞ることはせず、自分の実力を生かして、受験できるところはとにかく受験するという感じでしたね。2週間くらい東京のホテルに泊まって、都内の私立大学を中心にたくさんの試験を受けました。明治大学だけでも併願を利用して複数回受験しましたね。夢を叶えたいという気持ちを、より一層強く持ちながら、受験に臨んでいました。

結果、明治大学政治経済学部に合格されるわけですが、苦しい受験勉強を乗り越えられた要因は何だと思いますか?

向井

やっぱり小さい頃からの夢だった「お笑いをやりたい」っていう気持ちが一番の支えになりましたね。ここを乗り越えないとめざす将来への道も開けないというのは、勉強に向かう大きな原動力になりました。あとは、ひたすらノートに書くという勉強法も効果的だったのかなと思います。勉強した証が目に見える形で残っていくというのは、自分にとって大きな心の拠り所になりますから。「これだけやったからもう大丈夫だろう」と思いながら試験を受けるのとそうでないのとでは、結果もおのずと違ってくるんじゃないかと思います。

お笑い芸人 パンサー 向井 慧(むかい さとし)さん