中山 雅史さん

今から20年前、Jリーグの創始期から活躍し、日本人初のワールドカップでの得点を決めるなど、数々の記録と記憶に残るプレーを続けてきた中山雅史さん。“ゴン”の愛称で親しまれてきたと同時に、サッカーに対する熱く真摯な姿勢を見せることで、日本のサッカーを牽引してきました。昨年、45歳でJリーグの第一線から退いた彼に、そのプレースタイルの成り立ちや、生き様を支えた想いをお聞きしました。

ディフェンダーも経験し上をめざした学生時代

ゴンさんといえば、決して諦めないプレーが強く印象に残っていますが。

中山 雅史さん(以下中山)

諦めが悪いというかね、なにしろ負けず嫌いで、負けないためにはどうすればいいかと突き詰めたら、諦めないということになりますよね。それは昔からでしたよ。小学生の時も試合中に点を決められたら、味方に文句言っていましたからね。「何やってんだよ~」とか。悔しくて自分も半べそ状態で、相手のディフェンダーに「おまえ泣くなよ!」とバカにされていましたね(笑)。

その頃からサッカー一筋?

中山

中学生の頃は足が速かったので、サッカー部だけでなく陸上部も掛け持ちしていました。幅飛びと3000mだったかな。それとコーラス部でも男子部員が足りなかったので、臨時の合唱部員として参加していましたね。一番力を入れていたのはもちろんサッカー部だったんですけど、夏休み前にサッカー部が大会で負けちゃったので、夏休みの間は陸上部とコーラス部を交互にやっていました。あと、数学が好きだったんで、数学の先生になりたいと思っていた時期もありました。問題が解けた時の快感が心地よくてね。ただ、高校に入ると急に難しくなって「ちょっと無理だな」と諦めましたけどね(笑)。

藤枝東高校ではエースストライカーとして活躍されました。将来はサッカーを仕事にしようと思われていたのですか?

中山

いや、その当時はまだ日本にプロのサッカーリーグがなかったですから、プロといえば海外に行くことで、それはとても遠い夢のようなものでした。ただ 、静岡県選抜やユース代表には入っていたので、実業団チームをもつ企業に就職してサッカーをできるだけやったら、あとはその企業に残るもよし、それか教員になるのもいいかな、と漠然と考えていました。実は姉が小学校の先生で、「姉がなれるならオレにもなれるだろ」という安易な気持ちと、親父が公務員のような安定した道を望んでいたということもあったので、教員免許も取りたいと思っていましたね。数学の先生は無理でも、体育の先生にならなれるかも、とね。それで筑波大学に進学したんです。

当時、フォワード(FW)だけでなくディフェンダー(DF)も経験されていたとお聞きしました。


中山

高校時代、藤枝東ではFWだったんですけど、当時の最大の目標が静岡県選抜に入って国体に出たいというものでした。静岡県選抜に入りたい、入れるならなんでもやるという気持ちでした。同年代の同じポジションに、武田修宏(元日本代表、ヴェルディ川崎〈現東京ヴェルディ1969〉などで活躍)がいたんですよ。今はバラエティタレントだと思われているかもしれないけど(笑)、当時は本当に凄かった。だから、自分は足が速くてヘディングが強くてマンマークもできるということで、DFとして選抜に呼ばれたんです。静岡県選抜に入れるなら、それでもOKだと思えたし、活躍できればいいと思っていました。実際、国体で優勝できたんです。それが評価されて、ユース代表にも入れました。FWにこだわるというよりも、より高いレベルでやりたいという気持ちの方が強かったですね。

筑波大学でも、はじめはDFだったとか。

中山

大学1年の時ですね。同級生の井原正巳(元日本代表、横浜F・マリノスなどで活躍)とはユース代表でも一緒で、井原がスイーパーやって僕がストッパーやって。ところが井原がすぐにレギュラーになっちゃった。それは悔しかった。ちくしょーっていう思いはありましたよ。井原が見ていないところでトレーニングやったり。「もう帰るの?」「おお」なんて言いながら、帰らずに隠れて筋トレしたり、お互いにそうでしたね。

FWからDFに移る選手は多いですが、もう一度FWに戻る選手は少ないですよね。

中山

そういう意味では僕はラッキーだったんでしょうね。大学2年になった時に、センターFWがいないということで、「ゴンは高校時代にやっていたから、できるだろ」と先輩に引き上げていただいたんです。ただ、学生選抜や日本B代表にいくとDFなんですよ。サイドバックとか、運動量が要求されるポジションを任されていました。でも大学を卒業してヤマハ発動機のサッカー部(現ジュビロ磐田)に誘われた時には、FWとしてでしたね。

DFの経験が、のちに役立ったことはありますか?

中山

DFにとって、こういう動きをされたらイヤだろうなということは、やりながら感じていましたよ。視野から消えるような動きとか、ボールを見る一瞬の隙を突かれるとピンチを招くとか。それがFWに戻った時に活きたと思いますね。

その頃はもう、サッカー選手としてやっていく自信が芽生えてきた?

中山

そうですね。B代表とかに呼ばれるようになって、もっと上でプレーしたい、そしてワールドカップに出たいという気持ちは凄く強くなりましたね。井原が大学2年ぐらいでA代表に入った時は、「あいつと同じレベルに行きてーな」と強く思いましたね。