「ふんばろう東日本支援プロジェクト」代表 西條 剛央先生

西條剛央先生が立ち上げた「ふんばろう東日本支援プロジェクト」の特筆される点は「個人と個人」がつながる活動であること。活動はネットワークを広げながら多岐にわたって展開中です。個と個のつながりがなぜこれほどうまく機能したのか、西條先生にお話をお聞きしました。

避難所にいる人たちの要望をサイトにアップして個人の支援を募った

現在、被災地で様々な支援活動を行っている「ふんばろう東日本支援プロジェクト」はどのような形でスタートしたんですか?

西條剛央先生(以下 敬称略)

3月11日にあの大震災がありました。私は、3月の末に実家のある仙台に行き、4月1日、震災後初めて南三陸町に入りました。状況は想像を絶する凄まじさで、どこまで行っても瓦礫の山で海が見えないところも津波でやられているんです。まさに壊滅状態です。その頃、大きな避難所には支援物資が山積みされていましたが、その物資は小さな避難所や個人避難宅には届いていませんでした。必要とする人がいるのに物資を届けることができない。これはなんとかしなくてはいけないと思いました。

まだ、ライフラインは復旧していない時期ですね。

西條

はい。ただ、携帯電話はかなり復旧し始めていました。宅配便も被災地のかなり近くまで届くようになっていたので、行政を介さず必要なものを必要なところへ直接届ける仕組みを考えました。

個人と個人のつながりですね。それがうまく機能したポイントは?

西條

まず、現地にいって状況を見たことです。 被災地はネットどころかライフラインが壊滅していますし、そもそもパソコンを使えない人が大多数で、これではせっかく支援物資のマッチングサイトがあっても利用できない。だから直接、避難所にいる人たちに欲しいものを聞いて、それを僕らがサイトにアップして、それをみた人から直接送ってもらう仕組みを作ったんです。それは南三陸町で三浦さんに出会ったことがきっかけでした。

その方も被災された方のお一人ですね。

西條

三浦さんはご自宅も、ご自分の経営する鮮魚店も津波で流された後、町を復興させたいとの思いから誰よりも早く店を再開すると宣言して、「ふんばろう! 力あわせ一歩ずつ南三陸町」という看板を鉄骨だけの店先に掲げていました。その三浦さんと偶然出会い、避難所に案内していただいて物資を届けながら、さらに必要なものを聞いていったんです。行政もネットも届かない被災地の声を拾い上げて、広く発信する。そして、全国から送られてきた物資を三浦さんが届けるということで「ふんばろう東日本支援プロジェクト」の原型ができあがりました。

最初、ツイッターで支援活動についての情報発信をしたそうですが…。

西條

個人として被災地の人のために役立ちたいと思っている方はたくさんいました。そういう方たちが手をつなぐきっかけをつくるために、まずツイッターを利用しました。ただしツイッターはコミュケーションやリアルタイムの情報発信・収集には有効ですが、ある意味で、際限なく広がってしまうところがあるので、詳細はホームページに載せて、そのURLをツイッターの文面に埋め込んで、誰が誰に物資を届けたかという報告はきちんと受けるようにすることで、必要以上に物資が送られないシステムを作ったんです。

それ以降、どんどん活動が広がっていますね。今、活動している人は何人くらいいるんですか?

西條

現地の人もいるので正確な人数はわかりませんが、今、プロジェクトの運営はフェイスブックを中心に行っていて、そこに登録している人数だけで1,400人くらい。フェイスブックは私たちのように動きながら広がっていく活動にぴったりなんです。そこを見ると、みんな真剣に、そして生き生きと活動しているのがわかると思います。

「ふんばろう東日本支援プロジェクト」代表 西條 剛央先生