元トランポリン選手 廣田 遥さん

輝かしい実績を重ね続けた連戦の日々、その裏に隠されたケガとの壮絶な戦い…。
次々と新しい目標に向けてチャレンジを続けた廣田さんに、トランポリンへの思いをうかがった。

アスリートして遅いスタート
「極めたい」との強い思いで次々と目標をクリアしてきた

トランポリンを始めたきっかけは?

廣田 遥さん(以下 敬称略)

小学校6年生の時、語学留学でオーストラリアへ。ホームステイ先の家の庭にトランポリンがあって、跳んでみると楽しかったんです。

もともと小学校1年生から4年生くらいまで器械体操をしていたので、浮遊感や高さを感じるトランポリンに、クルクル回れるような楽しさを予感したのだと思います。帰国後、テレビでトランポリン競技の存在を知り、大阪のクラブに入りました。ただ、実際にやってみると、すごく難しい(笑)。動きは器械体操と似ているのですが、体の使い方が全然違うので、苦労しました。

本格的に始めて、わずか3年後には全日本選手権大会に出場されました。

廣田

小学校6年生から始めるのは、競技者としてすごく遅いスタートで、長くスタメンにもなれませんでした。その分、トレーニングも跳ぶ回数も、なんでも人の倍以上するように心がけました。クラブに入った時から「極めたい」と強い思いを抱いていましたから。クラブには、メインのトランポリンが2台、面積の小さいサブのトランポリンが3台あり、サブの方は比較的空いていました。メインで練習を終えるとすぐにサブで跳び、メインで練習ができる順番が近づくとまたメインに戻って跳ぶ…この繰り返しで、人よりも跳ぶ回数を増やし、トランポリンにも早く慣れようと、練習を重ねました。

高校2年生にして、全日本選手権大会で初優勝を果たしました。

廣田

3回目の全日本出場で、初めて決勝に進めました。初日は予選、決勝は二日目。初の決勝を控えて、興奮して眠れなくなるものですが、その日は、自分でも驚くほどぐっすり寝れて、決勝でも演技に集中できました。選手としてのネームバリューが全然なかったので、「私はこういう演技をする選手です。見てください」という思いで跳んだのを覚えています。競技開始年齢が遅くても「やればできる」という自信が持てました。

17歳で全日本チャンピオン。国内の全選手から追われる立場でもあったわけですが、プレッシャーを感じたことは?


廣田

そんな感覚は全然なくて(笑)。全日本選手権での優勝は、ひとつの目標をクリアしたことには間違いありません。でも、全日本チャンピオンになった時点で、新しい目標が見えてきたんです。「次は世界だ」と。日本の選手から追われる全日本選手権の優勝者ではなく、世界を追うチャレンジャーになるんだと、気持ちを切り替えました。この時から、全日本選手権での優勝は、世界を相手にトランポリン競技を続ける中で最低のライン(基準)だと捉えるようになりました。