シンガーソングライター たむらぱんさん

毎日が、「ちょっとなんかいい感じ」になるように。
そんなメッセージを込め、歌い続ける、シンガーソングライターのたむらぱんさん。
デビューから3年、走り続ける彼女の軌跡と歌に込めた想いをうかがった。

今やれることを一つずつ頑張る
その積み重ねが受験にもつながった高校時代

シンガーソングライターとして歌われる曲には、「一日一日を大事にしよう」というような前向きなものが多いですが、高校生の頃からスタンスは同じだったのですか?

たむらぱん(以下 たむら)

そうですね。やれることはやって、気づけることは気づく。とにかく「見落としたくない」という気持ちでした。私、誰よりもたくさん部活に入っていたんですよ。メインは、憧れていた野球部のマネージャーだったんですが、顧問の先生がスキー部も担当していたので、そこにも入部して。あとは陸上部に入って夏は駅伝に参加したり、軽音部に入ったりもしました。本格的なバンドではなく、文化祭で集まるくらいだったんですけど。

どちらかというと、体育会系だったんですね。軽音部ではやはり、ボーカルを?

たむら

というより、コーラスですね。その頃は自分で曲をつくることもなかったし、ただ楽しそうだから参加したんです。音楽絡みで何かをしたことはほとんどなくて、学校のなかにあることを満喫していました。生徒会の役員をやってみたり、体育祭の幹部になってみたり。だから今でも、学校行事一つひとつに思い出があります。

学業の方はどうでしたか?

たむら

私、実力テストが本当に苦手だったんですよ。トータルの力を試されるものが。だからとにかく、毎回の定期テストをきちんとこなすようにしていました。どうなるかはわからないけど、一番近くにあるわかりやすいことは、わかりやすく結果を出そう、と。決められているものはやっておいた方が、安全だろうという感覚があったんですね。

大学は、指定校推薦入試だったんですよね。


たむら

広い範囲のなかでポイントを定めて勉強するのが、得意でないとわかっていたので。部活にたくさん入っているぶん、合宿も多くて、授業に出られないこともありましたし、スキー部は受験シーズンぎりぎりまで活動しますしね。でも私、3年生になるまで指定校推薦というシステムを知らなかったんですよ。
指定校推薦では、それまでの成績を総合した評定平均値が重要視されるので、「ちゃんとやっていてよかった」と思いました。自分にとってのチャンスって、どこにあるかはわからないですよね。でもきっと、人生のなかにはわりとあるものだから、目の前のことをちゃんと取り組むのは大切だと思います。私は学校行事や部活を通して、結果を出すために励んだことや、そこでの人との出会いや交流を、結果的に受験に生かすことができたので。

大学に行く、というのは最初から決めていたんですか?

たむら

大学で何をしたい、というのが明確にあったわけではないんですが、学生生活というレールを最後まで味わいたかったので、絶対に行きたいと思っていました。

文学部を選んだのには、何か理由が?

たむら

消去法ですね(笑)。
指定校を調べていた時に、まず理数系は絶対に無理だろうと。それから、自分のやりたいこと、できそうなこと、そこにある面白そうなことを見て決めました。それぞれの大学の校風とか歴史とか、推薦のシステムや、入学後のカリキュラムなども見て。感情的に、ただ「好きだから!」というよりも、冷静に、自分に合ったところを選びたいと思ったので。それから出身が岐阜なので、東京に出て行くなら、きちんと親を納得させられる理由も必要だった。でも裏を返せば、その理由さえつくってしまえばいいということ。だから下調べは、きちんとしました。